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演奏家 小山実稚恵(ピアノ)

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Michie Koyama

震災直後から訪問コンサート 音で勇気と希望を ピアニスト・小山実稚恵
2013年10月5日 東京新聞

 志は、立てることより、持ち続けることの方がはるかに難しいだろう。人気、実力ともに日本を代表するピアニスト・小山実稚恵(みちえ)(54)が東日本大震災の被災地で、震災直後から訪問コンサートを続けている。多忙な演奏日程の合間を縫っての地道なボランティア活動。その胸中に去来する思いとは-。(安田信博)

 震災で大きな津波の被害を受けた宮城県東松島市。満月と中秋の名月が重なった九月十九日夜、小山は中心部にある東松島コミュニティセンターにいた。震災遺児を支援する「かんがるーの会」(小林美恵子代表)が企画したコンサート出演のためである。

 二十年前の一九九三年二月二十日、初めてセンターを訪れた。演奏を終え、仙台に戻る車中から見上げた夜空。まばゆいばかりの無数の星がきらめいていた。「息をのむような美しさは今も忘れることができません。ここに再び戻ってこられたことは大きな喜びです」

 今回は曇り空。星のきらめきはなかったが、鮮やかなまんまるの月が浮かぶ。慈しむようなまなざしを注ぎながら「今日の月は、受動的でなく、とても能動的な気がしますね」。光り輝く月に、震災から懸命に立ちあがろうとする人々の姿を重ね合わせたのだろうか。

 コンサートでは、ベートーベンのピアノソナタ「月光」を万感の思いを込めて弾いた。甘美で切ない調べがホールに流れ出すと、客席は水を打ったように静まり返った。
      ◇
 仙台で生まれ、中学二年まで盛岡で過ごした。雄大な自然に囲まれて生活し、楽しい体験がいっぱい詰まった子供時代の思い出。「演奏活動を続ける上で、常に心の糧となっていた」という。それだけに、自らを育んでくれた東北の地が変わり果ててしまったことに「体の一部をもぎとられたようなショック」を受け、喪失感、無力感に襲われた。

 「音で勇気と希望を届けたい」-震災から二カ月後、こんな思いを募らせ、岩手県釜石市で初めて訪問コンサートを開いた。これを皮切りに、宮城、福島を合わせた被災三県で活動を続け、延べ公演数は約三十回に上る。ピアノの音色に合わせて体を動かし、表情を輝かせる子供たち。元気な姿に接するたびに、少々のことではへこたれない芯の強さを感じて頭が下がり、「逆境は人間を強くする」との思いも深めた。

 小学校の子供たちから寄せられた感想文の中に、こんな一節があった。「ぼくたちもがんばっているので、小山さんもがんばってください」。そのけなげな気持ちに心を打たれ、涙腺がゆるんだ。
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 震災後、音楽に接するたびに「心の底から素晴らしさを感じ、静かな勇気がわき上がってくるような気持ちになる」と明かし、「自分がやりたいと思うことをやり、一日一日を悔いなく大切に生きたい」との思いも強くなったという。

 必ず会場の下見を行い、調律師も同行してピアノの状態をチェック。その上でプログラムを組み、入念なリハーサルを経て臨む演奏会。曲目の解説も懇切丁寧に行う。東松島でプログラムの最後に置いたのはショパンの「英雄ポロネーズ」。「ショパンが自らを鼓舞する思いでつくった作品。皆さんも心に勇気を持ってください」と呼びかけた。

 演奏会で各地を回り、着実に復興している姿の一方、まだまだ復興に遠い姿も目の当たりにして複雑な心境になる。今痛切に思うのは、「あの日を忘れることができない被災者たちの存在を、決して忘れてはいけない」ということである。

 「ピアノの音色を聴いて喜んでくれる人たちがいる限り、私は音を届け続けたい。そこにピアノがなければ、運び込んででも演奏する覚悟です」。気負うことなく、淡々とした語り口でのライフワーク宣言だった。


<以下追加引用>
NHKラジオ深夜便
オトナの生き方「音楽の力で伝えたい」
小山実稚恵さん(ピアニスト)
2013年11月3日(日・祝) 午前0時台と1時台(2日(土)深夜)
by negitoromirumiru | 2013-10-09 17:20 | 音楽 | Comments(0)


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