- “春の祭典”100年 -
2013年2月2日
「バレエ音楽“春の祭典”から “いけにえの賛美”の一部」ストラヴィンスキー作曲
(管弦楽)アイスランド交響楽団
(指揮)ウラディーミル・アシュケナージ
「バレエ音楽“春の祭典”」 ストラヴィンスキー作曲
(管弦楽)フィルハーモニア管弦楽団
(指揮)イーゴリ・マルケヴィッチ
「一楽章の交響曲」 ベルント・アロイソ・ツィンマーマン作曲
(管弦楽)北ドイツ放送交響楽団
(指揮)ギュンター・ヴァント
「バレエ組曲“火の鳥”(1945年版)から “終曲の賛歌”」ストラヴィンスキー作曲
(管弦楽)ベルリン・ドイツ交響楽団
(指揮)ギュンター・ヴァント
(春之介のコメント)
ツィンマーマンの作品だが、ヴァントの演奏が凄まじかった!
NDRのレベルは、やはり当時も高かった。
それにしても、春の祭典が音楽そのものの在り方を大きく変えたことで、指揮者のあり方も変えたという説明は正しいだろう。
具体的には変拍子ということだろうが、これをみっちりと体得した世代がヴァントをはじめとする世代だという。
春の祭典を初めて聴いた人が大変だったろうことは想像できよう。
昔、メルボルン交響楽団を指揮した岩城宏之が振り間違えて、演奏を止めて演奏し直したというエピソードを聞いたことがある。
現代曲を指揮しまっくた岩城さん、その誠実さが聴衆にも受け入れられたというのは納得できるところ。
私の愛聴盤は、ズバリ! エサ=ペッカ・サロネン盤とエリアフ・インバル盤だ、何と同じフィルハーモニア管弦楽団の演奏で、録音時期(サロネン盤1989年10月18-21日、Watford Town Hall、インバル盤1989年8、11月、アビーロードスタジオ)が数か月しか離れていない。
ほとんど同じ顔ぶれで録音されていると考えらるので、比較すると指揮者の解釈の違いが鮮明に発見できるのではないか。
デュトワよりもさらに推進力があり、バンバンとイッキに聴かせる!
100年後に理解される曲を作るのだから、芸術家の仕事は息が長いのだ。
スヴェトラーノフ指揮:ストラヴィンスキー:春の祭典