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訃報 アレクシス・ワイセンベルク(ピアニスト)

アレクシス・ワイセンベルク氏(ブルガリア出身のピアニスト)が死去
2012年 1月10日 読売新聞

 アレクシス・ワイセンベルク氏 82歳(ブルガリア出身のピアニスト)8日、スイスのルガーノで死去。パーキンソン病を患っていた。ユダヤ系家庭に生まれ、第2次大戦中は強制収容所に送られたが、音楽好きの看守に助けられトルコへ逃れた。17歳で国際コンクールで優勝し、パリ管弦楽団などで活躍。「20世紀最高のピアニストの一人」と称された。(ローマ)

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Алексис Вайсенберг (Alexis Weissenberg)
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【プロフィール】
1929年7月26日にブルガリアの首都ソフィアに生まれたワイセンベルクは、ピアニストだった母親に3歳からピアノを学び、その後、第二次世界大戦中にソフィアの音楽院で有名な作曲家でピアニストのヴラディゲロフにピアノと作曲を師事します。しかし、ブルガリアがナチス・ドイツの同盟国だったこともあって、ユダヤ系だったワイセンベルクは、1944年、強制収容所に送られてしまいますが、イギリス空軍の爆撃による混乱を機に、母親と共にトルコまで脱出することに成功、そのままイスラエルに逃れ、同年、テルアヴィヴでリサイタルを開いて成功を収めます。

 その後、1946年にはアメリカに渡ってジュリアード音楽院でサマロフ女史に師事し、さらにシュナーベルやランドフスカからも学んで腕を磨き、1947年にはフィラデルフィア管主催のユース・コンクールで優勝。さらに同年、レーヴェントリット国際コンクールでも優勝して一躍注目を集め、翌1948年にはジョージ・セル指揮するニューヨーク・フィルと共演してアメリカ・デビュー・コンサートを成功させます。

 しかし、その後のアメリカでのルーティンな演奏活動はワイセンベルクの意に沿うものとはいえなかったようで、そうした生活に嫌気の差した彼は、1956年、演奏活動を中止して自省と研鑽のための隠遁生活に入ります。4年後には彼はパリに渡り、さらに6年の沈黙後、1966年11月に開かれたパリでのリサイタルで奇跡的なカムバックを果たし、翌年にはカラヤンと共演して大成功を収め、以後、輝かしいキャリアを重ねることになります。


Schumann: Arabesque (Alexis Weissenberg)
by negitoromirumiru | 2012-01-11 14:11 | 音楽 | Comments(0)


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