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訃報 児玉清(俳優・タレント)

俳優・タレントの児玉清さん死去
2011年5月17日 NHK

多くのテレビドラマや映画で味のある演技を見せ、クイズ番組の司会者としても長年活躍した、俳優でタレントの児玉清さんが、胃がんのため、16日午後、東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。
児玉清さんは昭和9年に東京で生まれ、大学を卒業後、東宝映画のオーディションに合格して、俳優としてデビューしました。テレビドラマや映画に欠かせない名脇役として長年活躍し、最近ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、息子の龍馬を気遣う穏やかな父親の役を演じて、存在感を見せました。また、民放のクイズ番組の司会を30年以上務め、テンポのよい語り口で人気を集めたほか、芸能界きっての読書家として、NHKの「週刊ブックレビュー」でも司会を務めました。児玉さんは、ことし2月に体調を崩して、病院で検査したところ、胃がんと診断され、東京都内の病院に入院して治療を受けていましたが、先週末に容体が急変したということです。

(春之介のコメント)
読書家で知られていたし、ダンディな容姿、知的な雰囲気があった。

そんな年齢だとは感じなかった。

TBSラジオで、人生相談のパーソナリティを長年務めていた。

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<以下引用>
◆「アタック25」児玉清さん、胃がんで死去
 2011年5月17日 読売新聞

 実直な二枚目として映画やテレビで活躍し、テレビ朝日系「パネルクイズ アタック25」の名物司会者としても親しまれた俳優の児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)さんが、16日午後0時28分、胃がんのためなくなった。77歳だった。

 東京都出身。1958年の学習院大学卒業後、東宝ニュー・フェースの13期生となる。しばらくは端役が続いたが、61年の堀川弘通監督の「別れて生きるときも」でヒロインの初恋相手役を、65年の松山善三監督の「戦場に流れる歌」では、死を覚悟して入隊した軍楽隊員を好演した。

 67年にフリーとなり、丸山誠二監督の「日本海大海戦」、今井正監督の「妖婆」などに出演し、誠実で温厚な二枚目俳優として知られるようになった。強い個性に欠けることもあり、映画ではもっぱら脇役だったが、テレビでは、「花は花嫁」(日本テレビ系)「ありがとう」(TBS系)など、ホームドラマに引っ張りだこで、“理想の亭主”的な存在として活躍した。

 75年には「パネルクイズ アタック25」の司会者に起用され、安定感のある重厚な語り口で、30年以上も続く長寿番組を支えた。

 最近も、「ヒーロー」「ラストクリスマス」(ともにフジ系)、「ファイト」(NHK朝の連続テレビ小説)など精力的にドラマ出演をこなしていた。また、読書家としても知られ、「寝ても覚めても本の虫」など多数の著書もある。

◆児玉清さんが死去 俳優、「アタック25」司会
 2011.5.17 産経新聞

 俳優で、テレビ司会者や書評家としても活躍した児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)氏が16日午後0時28分、胃がんのため、東京都内の病院で死去した。77歳。東京都出身。葬儀の日取りは未定。

 昭和9年生まれ。学習院大学時代は演劇部で、篠沢秀夫氏(現学習院大学名誉教授)らと活動。卒業後、東宝の新人俳優公募コンテスト「ニューフェース」に合格し、映画俳優として、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演する。一方で、テレビ俳優としても活躍。「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など数々の人気連続ドラマに出演した。

 読書家としても知られ、NHKの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を務めたり、産経新聞などや雑誌の書評連載もこなしていた。

 昭和50年にテレビ朝日系で始まったクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会を担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりがお茶の間の幅広い年齢層で支持され、30年を超える長寿人気番組に育てた。

◆児玉清「アタック25」しばらくお休み―肝機能障害で体調不良
 2011/4/17 J-Castニュース

日曜午後の「アタックチャ~ンス!」という児玉清3 件の軽快な声がしばらく聞けそうもない。児玉清事務所は「肝機能障害による体調不良のため」、4月14日(2011年)に予定されていたテレビ朝日系「パネルクイズ アタック25」(日曜午後1時25分)の5月1日、8日分の収録をキャンセルしたいと、制作局の朝日放送に連絡した。児玉は現在、入院中。
児玉は先月31日に予定されていた4月3日、10日放送分の収録も直前にキャンセル、朝日放送のアナウンサーが代役を務めた。事務所は少なくともゴールデンウィーク明けまで休養させたいとしている。
「アタック25」は1975年4月にスタートして、4月17日放送で1796回となる長寿番組。児玉ははじめから司会を担当し、84年に虫垂炎で休んだ以外は欠席することなく続けている。「アタック25」以外にも、NHK・BSプレミアム「週刊ブックレビュー」、日本テレビ系「ワーズハウスへようこそ」などにレギュラー出演していて、「ブックレビュー」の9日放送も女優の中江有里が代わって出演した。また、ラジオ番組の「テレフォン人生相談」「藤沢周平傑作選(ニッポン放送)は当面は収録済みのものを放送する。
児玉は書評家、エッセイストとしても多くの著書、連載コラムを持っていて、その確かで静かな視線にはファンが多い。

<以下追加引用>
児玉清さん死去、亡き娘と同じ胃がん闘病
2011年5月18日 サンスポ

 娘のいる天国へ-。テレビ朝日系の長寿番組「パネルクイズ アタック25」(日曜後1・25)の司会で知られる俳優、児玉清(こだま・きよし、本名=北川清)さんが16日午後0時28分、胃がんのため東京・中央区の聖路加国際病院で死去していたことが17日、分かった。77歳だった。3月下旬から入院、闘病を続けていた。長女は9年前、同じ胃がんのため36歳で亡くなっている。
 俳優、司会、そして芸能界きっての読書家だった児玉さん。マルチな活躍で人気を集めたが、がんには勝てなかった。
 遺体の安置されている東京・千駄ヶ谷の自宅前で17日午後8時前、長男の会社員、北川大祐さん(41)が会見。涙をこらえながら「立派な父でした」と声を振り絞った。
 児玉さんが最初に体調不良を訴え診察を受けたのは昨年秋。胃カメラを勧められたが、病院嫌いのせいか検査を受けず仕事を続けたという。
 体調が再び悪化したのは今年2月下旬。急に食欲がなくなり精密検査を受けた結果、胃がんと告知され、すでに肝臓に転移していた。3月下旬に入院、手術しても手遅れといわれ、抗がん剤を1回投与された。今月14日に起きあがれなくなり、15日から意識不明に。最期は妻で元女優、北川町子(本名・好子)さん(79)と大祐さんに見守られ、眠るように息を引き取ったという。
 「父は仕事復帰を目指して頑張っていました。『やり残したことがまだある』とも言っていました」と大祐さん。最後の仕事は3月23日のテレビ収録。4月1日から今月3日まで放送されたNHKBSプレミアムの開局記念PRスポットだった。
 児玉さんは1958年3月、学習院大学文学部ドイツ文学科を卒業後、東宝映画に入社し俳優の道を歩き始めた。「隠し砦の三悪人」や「悪い奴ほどよく眠る」をはじめ、数々の名作映画、ドラマに出演。75年に「パネルクイズ アタック25」の司会者に抜擢された。
 以来、3月下旬に収録を休むまで、36年にわたり担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりが、幅広い年齢層から支持された。読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。
その分、10年以上前から、俳優の仕事には消極的に。2001年に放送されたSMAPの木村拓哉(38)主演のフジテレビ系ドラマ「HERO」の出演依頼もいったんは断った。しかし、当時マネジャーを務めていた長女、奈央子さんから説得され、引きうけたという。奈央子さんは02年、当時4歳の息子を残し、胃がんのため36歳の若さで亡くなっている。
 我が子に先立たれたつらさを「こんなに悲しいことはない」と周囲に語っていた児玉さん。司会者として俳優として、ものを考える力や想像力の大切さを世間に伝え、奈央子さんのもとへ旅立った。
by negitoromirumiru | 2011-05-17 19:39 | 箪笥 | Comments(0)


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