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演奏家 山本浩一郎 (トロンボーン) 2

ビーフ100%のハンバーガーの音を出せ!

 --その9月にジュリアードに入学。

山本 それでまた、厳しい日々が始まるんです(笑)。レッスンで、アレッシに突き飛ばされたりしましたから。「リズムがない」、 といってはドン! と。耳もとで怒鳴られるのは、もう当たり前だし。
 レッスンでは「ローブラス・マスタークラス」といって、毎週1回木曜の5時半から7時まで、来週は誰と誰がセクション組んで、この曲をやってごらん、というものがあるんです。バストロンボーンとチューバまで入れた4人で、たとえばショスタコーヴィチの5番。トロンボーンが4人の曲だったらアルペンシンフォニーとか。それが怖い。僕が2番トロンボーンを吹いていると、「もっと吹いて」と言われて‥‥。2番トロンボーンが聞こえないとダメなんですね、1番かそれ以上に。これはアレッシの考えもあるでしょうけど、概してアメリカの特徴ですね。
 そうやってオケの曲吹いているでしょう。するとアレッシにパッと止められるんです。「これは何調の何の和音だ。どういう働きがあるんだ、2番吹きはどうしなきゃいけないんだ。大きく吹くか小さくか」‥‥(笑)。「では、コウイチロウの音程が正しいと思う人、手をあげて」というと、クラスに20人いるのに誰も手をあげない(笑)。「スシじゃなくて、ビーフ100%のでかいハンバーガーの音を出せ」などと、よく言われました。
 もうその連続の毎日で、ジュリアードやめたくなって、でも他にすることもないし、と頑張った。ジュリアードに全部で11人トロンボーンの生徒がいて、僕が明らかに一番下手くそだ、と思いましたもの。いつも学内オケにものれなくて、リズムも音程もダメで。
 リズムといえば、テープを使って練習させられるんです。その場で録音した生徒の演奏を、こうやってアレッシが、指で拍子を叩きながら聴くんですよ。ちょっとでもズレると、「あ、ダメ!」。ちょっとのズレってあるじゃないですか。それを雰囲気でごまかしたり、歌っているからかまわない、とすませたり。それ絶対ダメなんです。理由にならない、というんです。カルチャーショックで、しばらくもう、何も出来なくなりましたね。

 --楽器はハンガリー時代と変わった?

山本 入学したときは、それまでと同じコーンでした。マウスピースは、アレッシにいわれる前は、レミントンを使っていて、5Gより小さい6ハーフぐらい。それを4Gという、テナーで一番大きいといわれるものにした。
 楽器をエドワーズに変えたのは、入学した年の12月です。入ってすぐに、変えろといわれて。音が細すぎるから、アメリカで吹く上では不利になるから、と。ニューヨークは特に音が太いですよね、他のアメリカに比べても。
 当時のアレッシの同僚で、今フィラデルフィアにいるニッツァーがスライドを持っていて、ベルはアレッシが持っていて、それを組み合わせたのを借りて使っていたら、すごくラクになったんですね。周りのみんなもビックリして、まるで音変わったよ、といってくれた。自分の楽器はオーダーしてから2カ月後に手に入って、それからですね、本当の意味での勉強が始まったのは。
 その年の夏休みは、ずっと日本にも帰らずアメリカにいました。毎朝一番でジュリアードにもぐりこんでは、広い練習場でロングトーンなんかをやるわけです。
 バズイングをすごくやらせる人なんです、アレッシは。普通の人のバズイングって、息の音がほとんどで、そこにジリジリと振動が混じっているだけでしょう。アレッシは、それじゃダメだというんです。ジリジリいっている音しか聴こえちゃいけないと。そうなるように、鏡を見ながら練習しろと。最初はそればっかりやってました。
 あとは、小さな音でロングトーン。一番きれいな、自分が出せるメゾフォルテからピアニシモまで。メゾフォルテの、一番鳴りきった温かい音から、最小限まで弱くしていく。そうやってロングトーンを吹いていると、今、自分がバズイングを使っているな、というのがわかるんです。目には見えませんけど、マウスピースの中で、唇のこの部分がこう振動している、と。
 アレッシは、ジュリアードのトロンボーンを塗りかえちゃいましたね。彼は、なんていうんだろうなあ‥‥「強い」プレーヤーというか、音楽的にしっかりしたプレーヤーを育てています。
 それが出来る人なんですよ。音楽的なセンスだけじゃなくて、音、音色、リズム、音程、セクションでの溶け合い方、ソロの吹き方、全部教えられますからね。弟子がみんなアレッシみたいな吹き方になるといわれても、彼みたいに吹くのが一番の早道ですからね。うまくなるには。
 だからすごいですよ、去年なんか、ジュリアード全体で、マスターを含めて2つの空席に100人受けに来ましたからね。

 --メトのオーディションにあたり、ジュリアード音楽院で師事していたジョー(ジョセフ)・アレッシからは、何か具体的なアドバイスを?

山本 直前にレッスンを受けたときに、「もう全部よくなってきたから、今度は自分で創造しなきゃいけない。演奏家として」と一言。その意味がよくわからなかったんですね。「ああしろこうしろ」とばかりいう先生だったから。  今になってみると、ああなるほど、と思うんです。メトのバス・トロンボーンもテナーも昔のジュリアード出身で、先生は違うしスタイルも違う。彼らは短く吹く。アレッシは決して短く吹かないけど、今の同僚と一緒に仕事するなら、それがこなせなきゃいけない。

 --「短く」というのは‥‥。

山本 レヴァインがそういう指揮者なんです。絶対妥協しません。ヴェルディのオペラの練習のとき、一度、彼がトロンボーン・セクションに‥‥あれは僕に向かってだと思うんですけど、「それではベルリンフィルか、ウィーンフィルのヴェルディだ」と言いました。良い音でボーッと吹くんじゃなくて(笑)、パン、とアクセントと一緒に音の芯が飛んでくるように、というわけです。
 それがうまいのはマーク・グールド。ラッパであれだけ短く大きい音を吹くのは、右に出る人いないですよ。ヴェルディなんかやると、指揮者より影響力ありますもの。イタリア・オペラって怖いんです。ずっと歌手を聴いていて、いきなりffで「パ、パン」と出てくる。そういうときの彼は、すばらしいですね。

最初の5分で、レヴァインにつかまった!

 --オーディションの課題は?

山本 33曲のオーケストラ・スタディ、それがオペラからシンフィニーまで。後はソロが1曲、バッハのハ短調のチェロ組曲のサラバンドの、けっこう上から下まで出てくるやつです。
 2番のオーディションだったから低い音が多かったです。上も「ボレロ」とか吹かされましたけど、基本的に凄く下の出る人を探していたみたいで。
 アレッシが直前に1回だけレッスンしてくれました。結果的にそれが最後で、去年の6月10日か11日だったか。初めてです、彼が僕のレッスンで楽器を吹かなかったのは。課題のコピーの楽譜を手に持って「もっとこうしてごらん」とか、椅子に座ったきりで2時間。いつもならこらえ切れずに(笑)、「貸せ、こう吹くんだ!」ってなるんですが。ちょうど、彼が2枚めのソロ・アルバムを作っている最中だったんです。1回めのテイクが終わって、2回めと3回めの間で、翌日レコーディングがあるから、そのせいかもしれなかったけど‥‥。
 ずいぶん気持が楽になりました。全部吹き終わると、彼が「いやーもう、疲れたよ! 二度と、こんなに集中してまとめて聴けないぞ」と。二人でゲラゲラ笑いあったんですけど、最後に何か1曲だけ吹いてごらん、というから、「ラインの黄金」の終わりのほうで、セカンド・トロンボーンのソロでテーマを吹く箇所を‥‥、これは結局オーディションではやらなかったんですが、するとアレッシが「凄い」。もう一回やれ、といわれて吹いたら、「凄い、全然問題ない、もう準備はできてるね」。レディ・トウ・ゴー!って感じです。そんな言葉かけられたの初めてで、なんか彼、お世辞いってんのかな、と思った。あまりにもそんなこと口にしない人だから(笑)。
 メトの試験が6月で、10月にはNYPのアシスタント・プリンシパルのオーディションがあって、どちらかには入りたいな、と自分では強く思っていました。「メトで2番吹くのもイイね」「やれるかもよ!」なんて、学生同士で夢みたいなこと語りあってました。

 --期するものは大きかった。

山本 月曜日の1次で65人ほどが残されて、2次予選は水曜日、本選は木曜日といわれていたんです。  2次の当日は、朝の10時から学校で吹いて、疲れちゃいけないとゆっくりお昼を食べて、指定されていた2時半に会場に入ったら、それがオーケストラ側の手違いで、結局吹いたのが5時半です。3時間廊下で待ち続けて‥‥。

 --いいもんじゃないですね。

山本 もう、緊張しているし精神的にも疲れてくるし。2次は15曲ほど。「ワルキューレ」のテーマなんて、4回も吹かされました。「今度はこんなテンポで」「もっとこんな表情で」と。

 --それはカーテンの向こうから?

山本 そうです。床には絨毯がしいてあって、ヒールの音で奏者が女性だとわかったりもしないようになってます。
 今日も一緒に吹いているブラス・セクションの連中が試験官だったそうです。レヴァインは旅に出ていて、彼らに一任してしまった。レヴァインの前で最初に吹いたのが、シーズンが始める前の練習で、ヴェルディの「レクィエム」とワーグナーの「ジークフリート」。それが僕にとってはレヴァインのオーディションみたいなものでした。最初の5分でつかまりましたもの。「セカンド・トロンボーン、もっと吹いて!」と。  まず驚いたのは、凄い大きな音のするオケだな、と。ジュリアードでオーケストラ・スタディの先生だったグールドが僕に向かって、「お前、吹いてるの?」と声かけるから、「もう、緊張してるんだからそんなこといわないで」(笑)。

「中国の不思議な役人」でバテた人が多かった

 --本選も2次と同じ日にやってしまったとか?

山本 2次が5時半に吹き始めて、6時近くに終わりました。けっこうつまんないミスしちゃったり、止めなきゃいけないのに先を続けて吹き始めたり。音外したのに「いいよいいよ!」というから吹き直したりして、それが後で聞いたら、音外したくらい気にせず先に行け、と指示を出していたらしく、「あれで君、けっこう点落としたよ」と(笑)。
 僕の友達も含めて11人、2次で残りました。みんなアメリカ人。誰が来てたかなあ‥‥。スペインやイタリアのオケで吹いている人や、サン・アントニオのオケや、ニューヨークのサブにいた人や、シカゴ響でトラ吹いている人とか、ホノルル・シンフォニーとか。僕は絶対ダメだろう、と思っていたら番号呼ばれて、「じゃあ、今からファイナルやる、何分後に呼びに来るから」と。「エエッ! 明日じゃなかったの?」ですよ。  とにかく部屋くれっていったんです。静かで、ソファがあるところ。そしたらオーケストラの控え室を与えられて、そこでちょっとだけ練習して、横になって寝ました。何も音を聴きたくなかったし、とにかく早く家に帰りたいと思った。こんな思いして緊張するくらいなら、結果 なんかどうでもいいから、メトのファイナルまで行ったんなら、絶対またチャンスあるはずだ‥‥と。最後は半ばあきらめて、緊張もしなかったですね。
 ファイナルでは、また「ワルキューレ」のテーマや、「ローエングリン」の3幕の前奏曲や、そういう大きい音ばかりの後にバッハのソロ。すると今度は「ローエングリン」の凄く小さなコラールの1番パートを吹かされて、そして「中国の不思議な役人」。2番トロンボーンの速くてキツいソロ、あれです。
 それを「もう一回やってくれ」。僕、絶対大きすぎたと思ったんです。そしたら「もっと吹いてくれ」。「エエッ?」ですよ。「もっとエキサイティングに、本当にオーケストラの中で吹いているように」。最後はバテそうになって、それでも吹ききって、そしたら「もう一回、今度はもっと速く。このテンポで」。またもや「エエッ!」(笑)。
 それが終わると、「ローエングリン」を、可能な限り小さく吹いてくれ、と。テンポの指示も自分が練習しているよりずっと遅かったですね。その後に、じゃあ、「ワルキューレ」をこのテンポで、もっとリズムをキツく、と。最後にまた「ローエングリン」のコラールを、凄く小さな音で‥‥。

 --他の人にも同じ要求を?

山本 みたいです。後で聞いたら、ほとんどが「役人」でバテちゃって、その後に小さな音吹かせたらスカスカで、もう全然ダメだったらしい。「体力的に勝ったんじゃない?」ってみんなに笑われました。もう一人、30歳過ぎでオケの経験も十分にあり、下の音も凄く出てバス・トロンボーンも吹ける、という人もいたそうですが、演奏が真面 目すぎたんですって。反応の早さというか、スクリーンの向こうからいわれたことを、その場ですぐ直せたのは僕だけだった、と。
 不思議な話ですよね、英語で、アメリカ人のためにやっているオーディションで、日本人が‥‥。だから、今ではよくわかるんです。ああ、ジョーがなぜ口癖のように「俺の言葉をすぐ理解しろ」といっていたのか。「プロ」として仕事のとれる「フレシキビリティ」って、こういうことだったのか‥‥って。

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演奏家 山本浩一郎 (トロンボーン) 1
by negitoromirumiru | 2010-11-24 09:32 | 音楽 | Comments(0)


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