小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年9月1日 - )
(春之介のコメント)
誕生日だそうです。
ご病気から快復されましたが、少し休養が必要とのことなので待ちましょう。
<以下引用>
◆28歳指揮者が小澤征爾代役で日本デビュー、難曲「サロメ」に挑戦
2010/9/2 JAPAN REAL TIME
世界的な指揮者、小澤征爾(74)が、日本から本場の西欧に向かって西洋音楽を発信したい、と19年間取り組んでいるクラシック音楽の祭典「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」。そのメインイベントであるリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の公演で、28歳の若手指揮者オメール・メイア・ヴェルバー(イスラエル出身)が大抜擢された。
毎夏2カ月間、日本アルプスのふもとにある長野県松本市で開かれる同フェスティバルには、国内のみならず欧州、米国など世界中から招聘(しょうへい)された著名な演奏者約120人が舞台に立つ。パレードなどの関連イベントと合わせ、約9万人の観客が訪れる。同フェスティバル実行運営委員会によると、毎年国内で色々な音楽の催し物が行われているが、小澤征爾の知名度から海外での認知度が特に高いイベントだという。
食道がん手術後の本格復帰を延期していた小澤征爾は、自ら総監督を務める同祭典での復帰を目指していたが、腰痛などの体調不良を理由に出演を見送ることになった。通常、オペラ「サロメ」は人間の内面に迫った高度な解釈が必要とされる作品で、小澤のような著名指揮者でさえも、大変難しい作品だとうなるほどだ。
20代の指揮者にこのような大役が与えられるのは非常に珍しく、「19年間、若手の育成を目的にイベントに力を注いでいたので、世代交代の場面を見られるのは、新鮮で本当にうれしい」と同委員会事務局長次長の松林典泰さん(44)は声を弾ませる。事実、20代指揮者の起用は同祭典開始以来、初の試みだという。
ヴェルバーが代演を指名されたのは公演の2カ月前。ヴェルバーは、欧州と米国で予定されていた十数回の公演をすべてキャンセルして、日本デビューに臨んだ。
ヴェルバーは、日本ではまだ知られていないが、スペインのバレンシア州立歌劇場音楽総督への就任が決まり、頭角を現している若手の注目株だ。5 歳から作曲を母国イスラエルで学び、エルサレム・ミュージック・アカデミーで指揮などの勉強をした後、ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムのアシスタントを務めるなど実績を確実に積み上げている。その活躍ぶりが同フェスティバルの実行委員会と小澤征爾の目にかない、今回の代役指揮が決定した。8月1 日の記者会見で小澤は「素晴らしい才能の持ち主だ」と若きマエストロに太鼓判を押した。
全4回の「サロメ」の公演では、4階席まである1600席が全て満席状態。舞台終了後もカーテンコールが鳴り止まず、イスラエルの若手指揮者に観客は惜しみない拍手を送った。愛知県名古屋市の会社員、飯田美樹子さん(40)は、「とても衝撃的な上演だった。素晴らしかった。オペラにこれから魅惑されそうだ」と話した。
ヴェルバーは「私の人生において、『サロメ』はもっとも大きな挑戦だった。楽譜を見たとき、一見、難しいように思えたが、練習を進めていくうちに、これが不思議と自然と自分の身体の一部になっていくのが分かった」と話す。作品解釈は難しかったかと聞くと、「これはどこにでも起こり得る話だ。好きなのに憎むほど嫌いになる。どこでも、いつでも、誰にでも起こりえる物語だ。10代の少年でさえ経験する。解釈や指揮は難しくなかった。むしろとても自然だった」と語った。
さらに「ジャズでもロックでも音楽はすべて好きだ。今は内緒にしているが、近い将来、若い世代にもクラシック音楽を親しんでもらえるように色々な音を使って挑発的なことを挑戦したい」と述べた。
ヴェルバーのほか、小澤が約半世紀前に世界デビューのきっかけをつかんだフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで昨年優勝した日本の若手、山田和樹(31)もフェスティバルに参加し、華を添えた。
1992年9月に小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラが中心となって始まった同フェスティバルは、関連事業合わせ、約80の企業スポンサーがつくほどの大規模な音楽祭だ。松本市には毎年20億円前後の経済的波及効果が生じるという。
来年で20回目の節目を向かえる同フェスティバルは名称を変更する。海外の観客にも親しみやすい名前にしたい考えだ。ヴェルバーに続く、若手の指揮者らが来年も日本デビューを飾ることを期待したい。
記者: 瀬川牧子