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クラシック音楽をめぐる思い2009

グッバイ2009
2009年12月30日 CLASSICA

●今年のベストCDとかベストコンサートを選ぶのも楽しいんだけど、もう少し大ざっぱな枠で振り返ってみた、2009年。
●まず録音。今年から、CDプレーヤーから音楽を聴くよりも、PC経由で聴く時間のほうが長くなった。非オーディオ者なので圧縮音源であっても気にしない。ただPC経由で聴くってのには2種類あるんすよね。一つは「CDを聴く」行為がそのまま「mp3を聴く」みたいに平行移動しているパターン。最初からデータを入手するにせよ、CDからリッピングしたものを再生するにせよ、やってることは同じで媒体が変わっただけ。もうひとつはネットラジオなんかでライヴを聴くパターン。こちらは圧縮音源がどうのこうのというレベルの音質ではなくて(もともと放送録音だし)、ライヴであること、新しいことに価値あり。
●で、PCから音楽を再生するのに慣れると、CDプレーヤーの電源入れたり、トレイを開いてCDを入れ替えたりするのがメンドくさいと感じるようになる。もちろん棚からCDを取り出すのもメンドくさい。人類として絶賛退化中。でも今のところPCに入っている音源より、CDのほうが圧倒的に多いんすよ。だからPCだと選択肢が少なすぎるわけで、それでどうするかといえばネットラジオに走る。まったく意味不明。なんのためにこれまでCD買ってきたのか。
●だから今までに購入したCDを全部PCにリッピングしたいと一瞬夢想するが、それはそれで困ることも多いわけで、こういう状態ってまさに過渡期なんだと思う。落ち着く先がどういう形態かはまだわからないんだけど、個人的にキーとなると思うのは、米国amazon mp3ストアが日本にも開放されるかどうかということと、メジャーレーベルがナクソス・ミュージック・ライブラリーみたいな定額ストリーム再生サービスを始めるかどうか、といったあたり。
●あとコンサート。今年は自分としてはたくさん通ったんだけど、「レコードからライヴへと変化する音楽産業」っていうイギリスの音楽産業事情と似たようなことを実感する場面も多々あり。CDが売れるのもコンサート会場だし。クラシック音楽の基本的な考え方として「生の演奏が本物であり、録音はその代替物である」といったものがあると思う、同意できるかどうかは別として。でも新録音が減って、録音だけでは音楽的な欲望を十分満たせなくなってくるからライヴに足を運ぶ、みたいな「録音の代替物としての生演奏」という逆流現象も都市部では起きてるんじゃないかなあ。
●これが進むと、地元で日常的に聴ける地元の音楽家の存在の重要性が増すことになる(年がら年中ウィーン・フィルやベルリン・フィルを聴いてられる人は少ない)。ネットワークによる音楽の流通が発達すればするほど、世界的メジャーによるパッケージメディアの支配力が弱まり、ドメスティックなものローカルなものに光が当たるようになる……というのが「風が吹けば(日本の)オケ屋が儲かる」理論。どうか。
●ネットは断然 Twitter。おもしろい。SNSでもありチャットでもありブログでもあり。「掲示板」じゃないところがいい。

(春之介のコメント)
この音楽評論家の語るように、音楽をめぐる環境は大きく変化している。

CDを聴くよりも、ネットラジオに耳を傾ける…本当にそうなっている。

ここ15年ほど、ライブ録音のCDが流行っていた。

それらは、欧米の放送録音を無断で複製する商売であった。

ところが、ライブ録音の効用として、スタジオ録音では得られない場の雰囲気・興奮が伝わると聴き手が多く飛びついた。

また、録音を拒絶した名匠・チェリビダッケの裏CDは、飛ぶように売れた。

春之介も幾つか所有しているが、中には個人が演奏会場で無断で録音した聴くに堪えない録音も含まれており、良くも悪くも一世代を象徴した。

ここ10年くらいは、欧米放送局も秘蔵の音源から公式にCD化し、最近ではオーケストラが自主レーベルを作り収入の安定化をはかっている。

音楽業界も大変な時代で統合を進めているが、加えて豊富なコンテンツをどう売り込むかに懸命である。

春之介の場合、最近CD購入は激減してしまった。

じっくりと聴くことがなくなってしまい残念なこの頃です。048.gif
by negitoromirumiru | 2010-01-02 00:48 | 音楽 | Comments(0)


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