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訃報 鶴見俊輔(哲学者、評論家)

思想家、鶴見俊輔氏が死去 哲学から大衆文化まで
2015年7月24日 中日新聞

 日常に根差した哲学、大衆文化論など戦後日本を代表する思想家の一人で、哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)氏が20日午後11時、肺炎と心臓の不具合のため死去したことが24日分かった。93歳。東京都出身。

 南満州鉄道総裁で政治家だった後藤新平の孫で政治家の鶴見祐輔の長男。中学時代に退学、休学を繰り返し渡米してハーバード大を卒業。日米開戦後に捕虜交換船で帰国した。

 戦後、姉で社会学者の和子、経済学者都留重人の各氏らと創刊した「思想の科学」の「言葉のお守り的使用法について」で注目を浴びた。思想の科学研究会では「転向」の共同研究を推進した。(共同)

<以下引用>
哲学者、思想家の鶴見俊輔さん死去=戦後リベラルの代表、「思想の科学」「べ平連」
2015/07/24 時事通信社

 雑誌「思想の科学」などで知られる戦後リベラル派の代表的知識人で、平和市民運動でも中心的役割を果たした哲学者、評論家の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが20日に死去していたことが24日、分かった。93歳だった。

 遺族によると、鶴見さんは6月中旬から入院していたが、肺炎と持病の心臓病のため今月20日午後11時に亡くなったという。遺言に従い葬儀は行わず、火葬を済ませた。

 1922年に政治家、鶴見祐輔の長男として東京都で生まれた。母方の祖父は明治・大正期の政治家、後藤新平。東京府立五中を退学後、38年に渡米し、ハーバード大学哲学科に入学。日米開戦後の42年にアナキストの容疑で逮捕されたが、拘置中に卒業論文が受理されて捕虜交換船で帰国。43年に海軍軍属としてジャワ島で勤務した。

 46年に姉で社会学者の鶴見和子、政治学者の丸山真男、経済学者の都留重人らと「思想の科学」を創刊。同誌は96年まで続き、アカデミズムと一線を画した編集で多彩な執筆者に発表の場を提供した。49年京大助教授、54年東工大助教授、61年同志社大教授などの教職にも就いたが、70年代以降は野に在って旺盛に著述・言論活動を継続。晩年はインタビューに答える形での著述も行った。

 プラグマティズムとリベラリズムに立って、思想を知識としてのみならず行動でとらえた。市民運動にも積極的で、60年安保では国会の強行採決に東工大を辞して抗議。65年には作家の小田実らと「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)を結成し、米脱走兵の支援などを行った。

 2004年には護憲の立場から「九条の会」の呼びかけ人にも名を連ねた。生活の中の哲学という信念は、民俗芸能などの重要性を指摘した「限界芸術論」にも通じる。

 主な著書に「共同研究 転向」(共著)のほか、「高野長英」、大仏次郎賞を受けた「戦時日本の精神史」、「鶴見俊輔集」(全17巻)など。94年には朝日賞を受賞。
by negitoromirumiru | 2015-07-24 11:09 | 箪笥 | Comments(0)


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