週刊デル・プラド・コレクション「クラシック・カフェ」というCD付き雑誌を中古店で以前に購入した。
この一冊だけだが2CD付きで105円、期待せずに買った。
CDは、ベートーヴェン:運命、序曲集(コリオラン、レオノーレ3、シュテファン王)〔
Anton Nanut, Ljubljana Radio Symphony Orchestra〕、そしてもう一つのCDの内容は次の通り。
メンデルスゾーン:結婚行進曲
ハチャトゥリアン:剣の舞
シベリウス:劇音楽『クオレマ』より 悲しきワルツ
スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」より 序曲
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
ビゼー:カルメン組曲(抜粋)
フチーク:フローレンティナー行進曲
〔
Alfred Scholz, London Festival Orchestra〕
このCDだが本当に肩の荷を下ろして聴くことができる嬉しいものなのだ。
普段は神経を使いながら聴くCDとは系列が違うのだ。
つまり頭をからっぽにしたり、BGMとしては最高にいい!
メインはカルメン組曲だが選曲がいいし、最後にフチークの渋いマーチで締めくくる。
こうしたCDつきマガジンだが、大手出版社とメジャーレーベルが手を組んだ隔週刊CDつきマガジン【全50巻】
小学館:「ウィーン・フィル魅惑の名曲」などが最右翼だろう。
このウィーン・フィルシリーズは、比較的安価で録音も良いものを採用し最終巻まで刊行されたようだ。
ということで、「クラシック・カフェ」も、その後どうなったを調べてみたら・・・
週刊デル・プラド・コレクション「クラシック・カフェ」
発行元:デル・プラド・ジャパン株式会社
だが、この日本法人が途中で倒産していた・・・
どうやら、週刊クラシック・カフェ 38号: 扶桑社販売 (2004/11)が最終巻のようだ。
確か50巻程度のシリーズだったから、半ばで力尽きた・・・
アントン・ナヌートという指揮者は実在で、こうしたCDに登場する機会が多いという。
彼のベートーヴェン:運命だが、室内オーケストラのような薄さがあるが良い演奏だと思う。
そして有名な Alfred Scholz という指揮者について調べてみた。
《ウィキペディア》にいきつき、
幽霊指揮者という項目にも名前があった。
クラシック・ファンならば駅売り廉売の怪しいCDを知っているだろう。
その中にはトンデモCDが入っていたりする。
それは聞いたことないような指揮者・演奏団体による演奏CDなのだが・・・本当に架空の指揮者・演奏団体であることもあるそうだ。
私などは、共産国が倒壊した1990年代を挟んで、東欧系のオーケストラを使って経費を押えて録音し台頭したナクソスのような手法はありうると思う。
ただトンデモCDは、まず録音の素性そのものの危うさに加えて、輸入する日本の業者の危うさもあり二重のハンディを負ってしまっている。
日本の輸入業者の中には、クラシック知識全くなしという杜撰な仕事をするところもあり、表記のミスは悲しいほどのところもあった。
世の中には、こうしたトンデモCDの素性を明らかにしようと、音盤ハンターして原盤を尽き止める勇者もいる。
このAlfred Scholz だが指揮者としてプロデューサーとして廉価CDの大量作成販売に取り組んだ実業家みたいな方のようだ。
さて問題は、いつも聴いている彼の指揮したというCDが、本当に彼の指揮なのか、そして演奏団体は間違いないのかといった疑問に突き当たる。
このアングラ世界に深く埋没すると、エネルギーを取られそうなので深入りはしないことにする。
ちょっと昔、シベリウスの唯一残された彼の指揮による演奏音源っていうのがあって、生誕記念として、きちんとしたメーカーから発売された。
ところが、後日、それが別の指揮者・演奏団体であることが判明してしまった。
よく考えてみてほしいのは、放送局の倉庫に音源が眠っているとして、そこに書かれているデータがホンモノである確証はないのだ。
書き間違えなどの人為ミス、思い込みなど、入れ間違いなどが発生しても誰も分からないのだ。
結論:人間の先入観はすさまじく、これはカラヤンの演奏だと言えば、そこらのアマチュア演奏にも感激するかもしれない。自分の耳を信じて、良いものは良いと言える自信を持とう!
<以下引用>
デル・プラド・ジャパン、破産宣告
2004年11月24日 ITmedia
分冊百科で知られるデル・プラド・ジャパンに破産宣告。大手出版社の契約解除で動揺が広がっていた。
帝国データバンクによると、東京地裁は11月24日、分冊百科で知られるデル・プラド・ジャパンの自己破産の申し立てを認め、同社に破産宣告した。負債は約55億6000万円。
同社はスペインEDICIONES DEL PRADOが2000年に国内事業を展開するために設立。ミニチュア付き「デル・プラドコレクション」を発行し、これまで「レーシングカー」「消防車」など約15シリーズを展開。2004年3月期の売上高は約19億4200万円だった。
だが今年11月初旬、
業務提携先の扶桑社が、デル・プラドの債務不履行を理由として契約解除を発表、「マイドリーム ドールハウス」「クラシック・カフェ」など7シリーズの販売を取りやめ、動揺が広がっていた。
同社サイトは現在「調整中」として事実上の閉鎖状態。発売中の分冊百科の続刊については不明だ。
<以下追加> ちょっと訂正 私は不明な音源CDを持っている・・・
アンダンテ・フェスティーヴォ(Andante Festivo)JS34はジャン・シベリウスが作曲した弦楽合奏曲。最初は弦楽四重奏のために書かれた。フェスティーヴォとは「祝祭的な」という意味。
この作品はシベリウスのお気に入りの曲だったらしく、しばしば演奏会のプログラムやアンコールで取り上げていて、シベリウス自身の指揮による1939年の放送録音が残されている。このシベリウス自演の録音はCD化されているが、最初にCD化されたものは録音テープの取り違えで別の指揮者(何者かは不明)によるものであることが後に判明した。
その後、本物の自演もCD化された。
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ものかの Andante Festivo アンダンテ・フェスティヴォ
<以下追加> 演奏に間違いはなかった!
シューマン:交響曲第4番、『マンフレッド』序曲
アントン・ナヌート&スロヴェニア放送交響楽団
発売日:2016年09月20日
謎の指揮者として存在すらも怪しまれたナヌート。しかし日本では紀尾井シンフォニエッタへの3度の客演で幻どころか今や最後の巨匠と呼んでも過言ではないほど骨太の名演で大評判を得ました。1932年にスロヴァニアのゴリツァ出身、第2次大戦時はイタリア領となった土地で、イタリア語で若年の教育を受けました。バレエ、オペラの指揮から交響楽団の指揮に進んだ典型的な叩上げタイプ。一つのオーケストラと長く仕事をする土地に同化した指揮者です。野武士の風格とでも呼びたいゴツゴツとした風格あふれる名指揮者です。
ナヌートは「尊敬する指揮者は?」という問いに、ワルターとマタチッチを挙げます。手触りの粗いゴツゴツした構えの音楽づくりはなるほどマタチッチとの共通項もあります。(ライナーノートより)
<以下追加引用>
アントン・ナヌートさん死去
2017年1月13日、指揮者のアントン・ナヌートさんが亡くなられました。ナヌートさんは長くスロヴェニアを拠点に活動、約200とも言われるオーケストラに客演する一方、スロヴェニア放送響などと約150タイトルに及ぶ録音をおこない、2009年と2013年には紀尾井シンフォニエッタ東京に客演して来日も果たし、その巨匠ぶりで多くの人を魅了してもいました。心よりご冥福をお祈りいたします。
【アントン・ナヌート・プロフィール】
1932年9月13日、ユーゴスラヴィア王国北部のカナル・オブ・ソチに誕生。父はオルガニストでイタリアとの国境の町でもあるカナルは、ソチャ川沿いにあることからスロヴェニア語でカナル・オブ・ソチと言われています。イタリア国境の町ということでイタリア語での名前も浸透しており、ソチャ川のイタリア流域の名称であるイゾンツォ川にちなんでカナーレ・ディゾンツォとも呼ばれていました。
ナヌートの少年時代でもあった第2次大戦中、カナルはイタリア統治下にありましたが、戦争が終わるとユーゴスラヴィア連邦人民共和国の構成国であるスロヴェニア人民共和国の町となります。ナヌートは戦時中、近隣のゴリツィアに在住する作曲家エミール・コメルに音楽を習い、戦争が終わるとスロヴェニアの首都にあるリュブリャナ音楽院に進学しています。
プロとしての最初のポストは1958年、ドゥブロヴニク市管弦楽団(現・ドゥブロヴニク響)の指揮者で、1975年にはスロヴェニア・フィルハーモニーの首席指揮者となり、リュブリャナ音楽大学では指揮科の教授も務め、1981年、スロヴェニア放送交響楽団音楽監督に就任、1998年までの18年間に渡って多くのコンサートや放送用録音などを指揮しました。
その間、東西陣営問わず世界各国のオーケストラへの客演活動も展開し、生涯に指揮したオーケストラの数は約200とも言われ、ロストロポーヴィチやマガロフ、シェリング、リヒテル、チッコリーニ、コーガン、グートマンなどとも共演しています。
ナヌートはレコーディングにも熱心で、スロヴェニア放送響などと約150タイトルに及ぶ録音をおこないますが、知名度に比してその数があまりに多いことや、レーベル側の音源管理の問題などもあって、日本のマニアの間では実在が疑われるほどでしたが、2009年と2013年には紀尾井シンフォニエッタ東京に客演してその指揮ぶりを披露、聴きごたえのある音楽を聴かせて話題にもなっていました。(HMV)