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希少難病患者支援事務局(SORD)副代表・中岡亜希 「iPS・ゲノムバンク」構想とは!?

希少難病治療 一筋の光
2011年3月7日 読売新聞

 患者数が極めて少なく、実態が国内で把握されていない「希少難病」について、患者のiPS細胞(新型万能細胞)や遺伝子情報を一括して管理し、それを研究者に提供して新治療法や創薬に役立てる「iPS・ゲノムバンク」構想が動き出した。北区に事務局を置くNPO法人が中心的な役割を担っており、同法人は「患者と研究者がバンクを通じてつながることで難病克服への希望を見いだしたい」としている。(上野将平)

 厚生労働省は、パーキンソン病や劇症肝炎など、原因不明で、患者の生活に多大な支障が出る病を「難病」と認定。研究費を公費で捻出し、治療法の確立などを支援している。しかし、同省が研究奨励や臨床調査の対象とする難病は300余りにとどまり、数え上げれば5000~7000種にも上るとされる希少難病の大半は、その枠外に置かれている。

 バンクを提唱したNPO法人「希少難病患者支援事務局」(SORD)には約350人の患者が登録している。同法人は先月、京都市内で希少難病について考えるシンポジウムを開いた。

 シンポでは、全身の筋力が衰えていく難病で闘病中のSORD副代表・中岡亜希さん(34)(宇治市)が、車いす姿で登壇。「私の病気は日本で百数十人おられるが、長年、違う病気と診断され、それぞれに違う薬が処方されていたこともある。希少難病は研究者がおらず、病名さえはっきりしないものも少なくない。それほど患者は孤立しているのです」と訴えた。

 今回、SORDが声を上げることで、iPS細胞を研究する東海大医学部(神奈川県)や、病気を引き起こす原因遺伝子の解明に精力を注ぐ国立遺伝学研究所(静岡県)などがバンクに協力することになった。

 国が認定する難病では、実態調査が進み、研究者は多くのサンプル資料を頼りにして比較的、研究を進めやすい環境にある。しかし、ほとんどの希少難病は、中岡さんが訴えた通り、患者も、そして研究者も孤立しているのが現状だ。

 バンクでは、患者は自らの血液を元に作製されたiPS細胞や遺伝情報を提供し、研究者はそれを活用して新治療法や創薬の研究に生かす。研究者が多様な患者のデータを入手できる仕組みにして、医学的に大きなブレークスルー(躍進)を実現するのが狙いだ。

 急速に進化しているiPS細胞の技術を用いれば、希少難病者の原始的な細胞が、どのようにしてトラブルを抱えた臓器や筋肉に変わっていくかを追跡することができる。それを見極めながら対策を考えていくのだという。

 SORDの小泉二郎・代表理事は「より多くの研究者が希少難病の研究に取り組む基礎環境を整えていきたい。ただ、希少難病は患者が少ないからこそ、患者自身も積極的にアクションを起こして、社会の理解を広げていく必要があると感じている」と話している。

(春之介のコメント)
iPS細胞の一つの目的に、このような難病治療への応用があげられている。

なお、中岡副代表について調べてみると、各所で活躍中ということが分かったので掲示させて頂く。

福祉用具の輸入販売など、これも北欧のデザイン性の良いものを仕入れたり、新たな製品開発にも携わっているようだ。


「空と向日葵」 中岡亜希のブログ  http://ameblo.jp/soratohimawari-aki

株式会社 free×FREE project(フリー バイ フリー プロジェクト)  http://freexfree.jp/

希少難病患者支援事務局(SORD)副代表・中岡亜希 「iPS・ゲノムバンク」構想とは!?_e0151275_6471547.jpg

単行本(ソフトカバー): 165ページ
出版社: 学習研究社 (2011/2/9)

<以下参考引用>
<突然、難病に>

 わが国には、支援制度の対象とならない「稀少難病」が数多くある。稀少難病とは「患者数がとても少ない病気」のことで、病気に関する公的な実態調査がないためにその存在すら把握されていない病気のことである。稀少難病と呼ばれる疾患は5,000~6,000種あるといわれているが、国が難病と認めているのはそのうち数百種といわれている。著者が罹患した「遠位型ミオパチー」もそのような病気のひとつだった。

 1976年生まれの著者・中岡亜希氏は、小さい頃からの夢を叶えてJALの客室乗務員として就業した。入社2年目、仕事に夢中だった彼女は自らの体の変化に徐々に気付き始める。「歩くのがしんどい」「階段がつらい」「ペットボトルが開けづらい」――等々。
 多くのつらい検査を通して診断されたのが「遠位型ミオパチー」という聞いたこともない病名だった。「発症後約10年前後で自力歩行は困難になるであろう」との宣告を受けた。
「10年が勝負」そう胸に刻み込んだ彼女の闘いがはじまった。自己との格闘はもちろんのこと、難病支援制度の構築へ向けた闘いの日々でもあった。
 難病の治療には莫大な研究費が必要となる。製剤化するには製薬会社の協力も必要だ。そのためにはまず、国が支援に動き出すための「患者会」が必要となる。

<病気に教わった「生きる意味」>

 著者は患者会の発足に奔走するなかで、多くの善意に接し、多くの協力者を得る。一定数の患者がまとまらないために、社会から見捨てられた難病者が多く存在することを知り、この社会矛盾を正すために、彼女は閉ざされた自己から外界へと歩み始めることになる。
 2008年4月に「患者会」を発足。09年2月、特定非営利法人「稀少難病患者支援事務局(SORD)」を発足。同年、(株)free×FREE project(フリーバイフリープロジェクト)を設立し代表取締役として欧州から福祉用品の輸入を開始する。また車イスによる富士山の登頂も2年連続で果すなど、彼女の活動はめざましい広がりと充実をみせる。 
難病との出合いを「生きる力」に変えた著者の意思の強さはもちろんだが、その生きる力を「社会を動かす力」にまで押し進めた「無私の精神」に読者はきっと心を打たれることだろう。【田代 宏】


<以下関連エントリー>
NPO希少難病患者支援事務局SORDについて ⇒解散へ
by negitoromirumiru | 2011-10-05 06:51 | 医療 | Comments(0)


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