演奏家 山本浩一郎 (トロンボーン) 1

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山本浩一郎
メトロポリタン歌劇場トロンボーン奏者 (現・シアトル交響楽団首席奏者)

新天地アメリカでつかんだ奏法でメジャー入り
「パイパース」1997年8月号~9月号第192号~193号に掲載

山本浩一郎(やまもと・こういちろう)■1971年東京生まれ。12才からトロンボーンを始め。東京音楽大学付属高校に入学。在学中の88年、オーストラリアのブリスベーンで開かれた国際コンクールに4位 入賞。同年第5回日本管打楽器コンクール3位。90年にハンガリーのリスト音楽院に入学、91年にクリスティアン・リンドベルクに初めて師事。第8回日本管打楽器コンクール1位 大賞。92年プラハの春国際コンクールでディプロマ賞。93年にアメリカに渡り、ジョセフ・アレッシに師事。後にジュリアード音楽院に入学。96年からニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団トロンボーン奏者。

 --遅ればせながら、メトロポリタン歌劇場管弦楽団入団おめでとうございます。オーディションがあったのは‥‥。

山本 昨年(96年)の6月です。ちょうど1年前の今頃は、必死にさらっていた(笑)。
 オーディションの2次で11人にまで絞られると、これから最終試験をするといってまた吹かされて、結局、その日のうちに契約書をかわしました。名目上、今は2年の試用期間中の身なんですが、本当の団員以上に働いてます(笑)。セクションが全部で5人、そのうちセカンドが僕しかいませんのでね。

いきなり音が出なくなった!

 --前回のインタビューは、リスト音楽院に留学中の1993年春(140号)のことでした。ハンガリーでのレッスンや、クリスティアン・リンドベルク(リンドベルイ)のマスタークラスでしごかれた話が中心で、彼の勧めもあってアメリカ行きを考えている、というところで終わっていた。今回は、まさにその「後日談」にあたるわけですよ。

山本 ああ、そうですね。僕、その年の夏にも、もう一度、リンドベルクのスウェーデンのマスタークラスに行ったんです。
 実は、その準備をしていたときに唇をこわしましてね。リサイタルの曲を、3曲ぐらい出来なきゃダメだ、といわれて練習していたんです。それも現代曲のすごく難しい、クセナキスなんかの、ハイfの出てくる譜面 を渡されていたから。そこで、ちょっと練習のやり方を間違えたというか‥‥。
 本当はずっと、無理して吹いていたんでしょうね。毎日7時間なら7時間、リサイタルピースばかり吹いていて、ウォーミングアップはしましたけど、あまりエチュードとか吹かなかったですよね。それで自分は「強くなる」と思いこんでいたというか。
 それがある日突然、学校に来てさらい始めたら、ちょうどここに(上唇を指さして)空気がたまるようになっちゃって‥‥。前の日は何でもなかったんです。まあ、「最近疲れているしな」と、一日休みをとった。でも、次の日も同じ。マズイな、と思ったけど、もう音は出ない、5分以上吹いていられない。筋肉が全然ダメになったって感じです。
 そうなる直前に、ジョー(ジョセフ)・アレッシさんが、ニューヨークフィルの演奏旅行でハンガリーに来たんです。僕の先生を介して会いに行ったら、レッスンを受けられて。ええ、故障する前の、一番調子よかったとき(笑)。一緒にアンサンブルも吹いてくれたし、僕のテープと経歴書を渡したら興味を示して、「アメリカに来ない?」というんです。僕がアメリカ行きを希望していたのは周りのみんなも知っていたから、「やったじゃん!」ということになって。

 --リンドベルクがアメリカに行け、といった具体的な理由はあるんですか。

山本 ひとつには、偏ったプレーヤーではなくて、もっとオールラウンドなプレーヤーになってほしい、と思ったんでしょう。わかります、今になって、来てみて正解だったと。やっぱり、時間をかけて基礎からやり直すときに来ていたんですね。それまでは、とりあえず音が出ていただけで、ワーッと勢いだけで吹いていて、理屈がなかった。

 --で、リンドベルクの講習会は?

山本 行きたくなかったですよ。でも、どうしても来い、というから。僕の音を聞いて、彼も悩んじゃって、相談にはのってくれましたけど、「力を抜け」と、当たり前のことしか言わないし、彼本人もあきらめかかって、「音楽的なことは伸びているから、気を落とさないでね」で終わっちゃったんですよ。
 前の年から比べたら、もう「世界は厳しいな」です。たぶんダメだと思われていましたね。しょうがないです。本当に吹けなかったから。周りからも、リンドベルクの弟子でつぶれた人のことを聞いていた‥‥、何人か、イギリスやフィンランドの有名な生徒でね。
 みんな無理して吹いているんです。彼、本当は全然無理していない。一見無理しているように見えても、ラクにパーッと吹いているだけなんですが、それをうっかりすると間違えるじゃないですか。

 --あそこまで頑張っていいんだ、と。

山本 ええ。アレッシもそうですけど、リンドベルクも、とにかく無理のない奏法をしているんですよ。そして僕らが何十回かけて出来ることが、2回ぐらいで出来ちゃう。練習の効率もよい。リンドベルクだって、緊張したり疲れちゃったりすると力が入ってきますけど、ああなるまでに彼、既に5時間ぐらいはさらっているんですよ。そういう「強さ」は凄いですけれどね。

10年間まちがったことを続けてきた!?

 --すると、スランプの状態のままアレッシのもとを訪れた?

山本 それも、一人でアメリカ行くのが初めてで、言葉も何もわからない状態です。空港からタクシーに乗ってホテルに着いて、電話したんですよ。確か金曜日の夜でした。
 それで吹いたら、「エ?」という顔をされて‥‥何も言わなかったですけれどもね。どうもこいつ、様子が違うと。
 アレッシさん、ヨーロッパでお会いしたときは、すごくフレンドリーな印象だったんですが、ニューヨークではまるで違いました。ヨーロッパの師弟関係って、けっこうナアナアで、いくら厳しくても腹割って話せる部分がある。そういうものかと思って行ったんですよ。で、まずホテルからお宅に電話したら、「うちはそこからバスに乗って2時間なんだけど、来い」と言う。アメリカで、右も左もわからない奴にですよ、地下鉄に乗ってこうこう、と電話で言われても、案の定迷っちゃって(笑)。バス停を降りたら怒って迎えにきて、「こんな生徒初めてだ!」。
 で、最初の日に何時間もレッスンしてくれて、家族を紹介していただいて、バーベキューまでごちそうになって。ちょうど4年前の今頃、7月です。それで彼が質問するんです。「どういうプレーヤーになりたいんだ、オーケストラ・プレーヤーか、ソリストか」。
 僕は、ハンガリーで初めてアレッシを聴いて、凄いオーケストラ・プレーヤーがいるもんだと思ったんですね。音程良いし、音ベラベラいってないし、ちゃんと歌いながら吹いているし、こんな風に魅力的にソロが吹ける人がいるって知らなかったんですよ。だから「両方できるようになりたい」と答えて、また彼が「アメリカで勉強したいのか」と聞くので、「もう後はないから」というと、「よし!」と一言。どういう意味かわからないけど、翌日からガラリと態度変わりましたね。
 次の日は彼、カーネギーホールで練習があったんです。そこで待ってろというので行ったら、もうニコリともしない。ウォーミングアップしていると、いきなり「お前は何年トロンボーンを吹いているんだ?」。「10年」というと、「10年間、まったく間違ったことをやってきた‥‥」という。「エエッ?」と思って聞いていると、「だから、それを直さないと、アメリカという国ではどこでも勉強できない」と言われて。いったい何かな、と思ったら。「アンブシュアを変えろ」という。その場で直されました。
 それまで僕は、上唇の赤いところにリムが当たるように吹いていたんです。それがダメだと。クラシックにそういうプレーヤーはいない、と。だから上に移動して、逆に下唇のほうにリムの縁があたるような感じですね。そして、マウスピースのサイズも大きくしろ、と。もっと効率がよく、コントロールのきくものにしろ、というわけです。
 どうしようかな‥‥と思ったけど、それでマウスピースを変えてみたら、調子よくなっちゃったんですよ。その年の夏はすごくいっぱいレッスンしてくれて、5日間の滞在のうち、何時間も教えてくれて‥‥、少なくとも僕にとって、どう方向を変えればよいかはわかったんです。

いきなり、「じゃあ、ボレロを吹いてみろ」

 --それまでマウスピースやアンブシュアについて指摘されたことは?

山本 なかったですね。とりあえず上から下まで出ていたし‥‥まあ、いろいろと変えていたんです。小細工していたというか。跳躍のときにも、ここはどう息の角度を変えて、とか。そういうごまかし方に関しては、けっこう小賢しかった。

 --それは今から思うと‥‥

山本 完全にごまかしです。こういうもんだろう、音が出ているからいいだろう、と。何も心配せず吹いていたんですね。
 で、ハンガリーに戻ってアメリカ行きの準備を進める一方で、日本の文化庁の海外派遣の試験を受けていて、その最終面 接のために日本に来たのが10月だったかな。その前に、もう一度アレッシのところに行ったんです。
 それが直ってなかったんですね。マウスピースを変えただけで。調子はよくなっていたんですが、アンブシュアは昔のままだった。
 アレッシが怒って、レッスンは何回してほしいんだ、というから、「できるだけ多く、お時間のある範囲内で‥‥」などと、いかにも日本人的感覚で頼み方をするじゃないですか(笑)、すると「何回なんだ?」と聞く。しょうがないから、2週間の滞在で、週に2回なら単純計算で「4回」というと、「わかった、じゃあ4回しかあげないからね」。そして、「3日後にもう一度時間をあげるから、それまでにアンブシュア直してくるように。ここにこうやって当ててごらん、ハイおしまい」と、その日は10分で終わっちゃった。
 参りました。こりゃもうダメだと思って、凄く汚いアパートに泊まっていたんですが、そこで楽器を抱えて‥‥。アレッシも、ジュリアードの構内で練習できるように手配はしてくれていたんですが、とにかく、自分はさらい方などすべて教えたんだから、できなかったらもう戻ってこなくてよろしいと、すごく簡単な英語でいわれたんです。

 --アレッシって、みんなにそういう厳しい接し方をする人なんですか。

山本 そんな、怖くて聞けないですよ。でも、アレッシの奥さんがいうには、「コウイチロウはよく耐えていた」と。怒りを抑えて耐えているのはよくわかったと(笑)。レッスンから泣きそうな顔で出てくる人を彼女いっぱい見ていますからね。僕はわりと、泣きそうになる前に、アタマにくるタイプですから。
 で、この3日間で何もできなかったら、君はジュリアードは忘れて日本に帰りなさい、もう会いたくない、と。つまり破門。凄くハッキリしています。そうまでいわれてもつきたくなる、魅力のある先生って、世界にも本当に稀ですよね。僕にしても、この人しかいないって勝手に信じ込んでいたわけですが。
 そのとき、でも僕はさらわなかったです、正直いって。ウォーミングアップをやるでしょう?
 リンドベルクに習った時代から毎日やっているもので、真ん中のFぐらいからずっと低い音まで下がっていって、次に上のほうまで、リップスラーで‥‥、メトロノーム60のテンポで2分音符や全音符。ごく普通 のものです。これで1時間ウォーミングアップして、後は2時間か、3時間‥‥。その程度です。疲れるし、本当にやりたくなかったし、初めてです、トロンボーン吹いていて、これだけやりたくないと思ったのは。どうしても我慢できなくて、それ以上吹けなかった。
 だからアレッシのところにいっても、これはダメだろう、と思っていました。
 「とりあえず何か音出してごらん」「まだ下の音が出ないんですけど」「いいからやってごらん」と言われて、「このエチュード吹いて」「はい1オクターヴ上げて」と‥‥。こっちは、考える暇がないから必死ですよ。
 それが、とりあえず出来たんです。では、もうちょっとやってみよう、と吹かされるうち、まだ慣れていないので、低い音では唇が崩れちゃうんですが、でも、だんだん音が太くなっていくのが、自分でもわかるんですよ。そして最後に「じゃあ、ボレロ吹いて」。「エエッ! 何いってんだこの人!
 アンブシュアを変えて3日目の人を捕まえて」と思ったけど、吹けたんです。そうしたら、ビックリした顔して「わかった」と。彼もそうでしょうけど、僕自身がビックリしましたよ。それからはもう、じゃあ明日はオケのリハーサルがあるから何時にどこ来い、明日も来いと、最初は4回だけだよと言っていたのが、10回はレッスンしてくれましたね。
 2月のジュリアードのマスターの試験を受けることにしたいというと、「じゃあ、その前にまたおいで。これとこれ‥‥」といって、20曲ぐらい指示してくれました。オーケストラスタディとソロの曲をさらっておけ、と。
 試験は35人ぐらい受けに来たんです。3つだけスポットがあって、もちろんジュリアードの本科のバチェラーからマスターへの進学希望者もいて、けっこう熾烈です。それで受かりまして、またアレッシにレッスンを受けてから、日本でリサイタルをやったんです。94年の6月。傷の多いリサイタルでしたけど、なにしろアンブシュアを変えて半年ですからね。完全に自分のためだけに開いたようなものです。それをひと夏、全国各地でやりまして。自信につながったというか‥‥とりあえず、もうアンブシュアのことは考えなくてもよい、一応リサイタルもできたんだし、と。そう思えるようになった。

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演奏家 山本浩一郎 (トロンボーン) 2
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by negitoromirumiru | 2010-11-24 09:31 | 音楽 | Comments(0)


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