人気ブログランキング | 話題のタグを見る

帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に

帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_16535566.jpg

帰ってきたぞウルトラマン
2010年5月5日 朝日新聞 『五線譜』

東京・世田谷の小田急線祖師ケ谷大蔵駅で古谷敏(さとし)さん(66)と会った日は、 冷たい雨が降っていた。

1966(昭和41)年から放送された初代ウルトラマンで、ぬいぐるみに入った。 シリーズ次作「ウルトラセブン」では、ウルトラ警備隊の「アマギ隊員」を演じた。

180センチ超の長身。八頭身のスタイル。当時の風貌は変わっていなかった。

「懐かしいなあ。故郷に帰ってきたような感じだね」

近くには、ウルトラシリーズを生み出した円谷プロの旧本社があった。 駅から南北に長く延びるのは「ウルトラマン商店街」。銀色に輝くウルトラマン像が立つ駅前広場で、必殺技スペシウム光線のポーズを取ってもらった。寒いのにコートを脱いで、右手を垂直に左手は水平に──。

「毎日300回、三面鏡の前で練習して体に染みこませました」

セブンが終わると、俳優業を引退。怪獣などのアトラクションショーを手がける会社を経営した。年商3億~4億円。だが観客は次第に減り、91年に会社を解散した。

親しい友人に会おうとしても「カネが目的だろ」と陰口をたたかれた。悔しくて、周囲との連絡が遠のいた。

とはいえ、妻や2人の子どもを養わないわけにはいかない。経歴を隠し、ビル清掃の会社に再就職。高層ビルの窓ふきもした。誰も、彼がウルトラマンとは知らなかった。

もう一度、自分の可能性を試したい。そんな思いに駆られたのは2007年秋。怪獣のデザインを手がけた美術監督・成田亨さんの原画展がきっかけだった。02年、72歳で亡くなったのは知っていたが、葬儀には行かなかった。

僕のことを覚えているだろうか。受付で、おそるおそる名刺を渡した。その夜、成田さんの奥さんから電話。「来てくれるなんて夢にも思いませんでした」。 涙声だった。

数週間後。今度は思いがけない人から連絡がきた。 「やっと見つけた。ずっと探していたのよ!」。興奮気味に語る声の主は、ウルトラセブンのヒロイン、アンヌ隊員を演じた女優ひし美ゆり子さん(62)だった。

音信不通だったのに多くの仲間が心配してくれていた。みんな昔と変わらない。感謝の思いを込めて昨年暮れ、回想録「ウルトラマンになった男」(小学館)を出版した。

あのころ、怪獣と戦う「正義の味方」に心を躍らせた子どもたちだろうか。サイン会には、髪に白いものがちょっぴり見え始めたおじさんたちの姿もある。「会えて夢のよう」と握手を求める人。「もう『光の国』には帰らないでください」 と訴える人。「いまもこんなに愛されているなんて」

思い出のロケ地を巡るツアー旅行を、昔の仲間たちと計画している。もちろん、ファンも一緒に。

(春之介のコメント)
いろいろな人生の顛末がある。

特に浮き沈みの激しい芸能界・スポーツ界で生きたいと願う人は、若いころから自分を抑制して最高のパフォーマンスをしたいと考える。

しかし、肉体の制御ならまだしも時流には逆らえないものがある。

オリンピックからは消えた女子ソフトボールなどは典型であろう。

それでも、一度でも栄光を勝ち得て輝いていていた人たちには最期まで他人の手本になるような生き方をして頂きたい。

古谷敏さんは、決して落ちぶれてもゴシップネタになるような行為だけはしたくないと額に汗して黙々と働いていた。

時代のヒーロー、ヒロインには、そうした厳しい矜持が求められるし格好いい生き方だと思うね。


<以下引用> ブログ
ウルトラの夢。アマギ。
長く愛してくれている、人たちに 送る昔と今のメッセージ
  http://jinntiyann.blogspot.jp/

<以下追加引用>
【インタビュー】 (外部リンク)
『ウルトラセブン』放送開始45周年記念企画 - 怪獣とウルトラマンとアマギ隊員になった男・古谷敏
2012/09/30 マイナビニュース 木全直弘


<以下追加引用>
荒尾のウルトラマンランド閉園へ
2013年2月15日 読売新聞九州発

 円谷プロダクション(東京)は14日、グリーンランド(熊本県荒尾市)の近隣で運営してきたウルトラシリーズのテーマパーク「ウルトラマンランド」(同)を9月1日で閉園すると発表した。

 同施設は1996年開業。約8400平方メートルの敷地にドーム型の建物などを設け、ウルトラマンのショーを開いたり、テレビ撮影に使った車両などを展示したりしてきた。海外からも熱心なファンを集めたが、昨年度の来場者は9万3000人と、開業当初の約3分の1に落ち込んでいた。

ウルトラマンランド  http://www.ultraman-land.jp/

<以下引用>
円谷プロ:50周年で新ウルトラマン
2013年4月12日 毎日新聞

 円谷プロは12日、設立50周年を記念した新ヒーロー「ウルトラマンギンガ」を発表した。初代ウルトラマンが初放送された7月10日から、テレビ東京系「新ウルトラマン列伝」に登場する。38人目のウルトラマン。七色に輝く胸や頭などの「クリアーパーツ」から繰り出すさまざまな必殺技で地球の平和を守る。

<以下追加引用>
帰っていったウルトラマン…熊本の施設閉園
2013年9月2日 読売新聞

 円谷プロダクション(東京)直営の唯一のテーマパーク「ウルトラマンランド」(熊本県荒尾市)が1日閉園し、17年半の歴史に幕を下ろした。

 閉園の間際、隣接するホテルの外壁に縦約10メートル、横約20メートルの巨大な映像を投影。ウルトラセブンとウルトラマンが「ここで出会ったたくさんの笑顔は私たちの大切な宝物だ」「さあ、明日への一歩を踏み出そう」と駆け付けたファンらにメッセージを送った。

 同施設は1996年3月、ウルトラヒーローのステージショーが好評だった同市の遊園地「グリーンランド」の近くに開園。当初、数十万人を数えた年間入場者数は、近年、10万人前後に低迷していた。
帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_1642053.jpg

帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_16402179.jpg

帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_16395685.jpg

帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_1640469.jpg


17年間の感謝を込めて ウルトラマンランド・グランドフィナーレ!

<以下追加引用>
ウルトラマンシリーズ“ギネス世界一”に
2013年9月12日 NHK

テレビ番組などで人気のヒーロー、ウルトラマンのシリーズが、ことし始まった新シリーズで28作品目となり、ギネス世界記録に世界で一番、派生した数の多いテレビ番組として認められ、12日、認定証が手渡されました。

ウルトラマンは、東京オリンピックの2年後、昭和41年から放送が始まりました。特撮技術を使い、地球に襲来する数々の怪獣と巨大ヒーローのウルトラマンが戦う番組として子どもたちの人気を集め、昭和48年にはウルトラマンタロウ、昭和49年にはウルトラマンレオなど、次々と派生シリーズが作られました。

そして、ことし7月から28作品目となる新しいシリーズ、ウルトラマンギンガが始まったのに合わせて、ギネス世界記録の本を発行するイギリスの出版社が調査をしたところ、最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組であることが分かり、12日、東京・葛飾区の映画館で認定式が開かれました。式では、歴代のヒーローがステージで見守るなか、ギネス世界記録の認定員から初代のウルトラマンに認定証が手渡されました。
帰ってきたぞウルトラマン 人間・古谷敏 ⇒帰っていったウルトラマン・熊本「ウルトラマンランド」閉園に_e0151275_7195978.jpg

ウルトラマンシリーズは、その時々の社会問題を折り込んだストーリーも話題を呼び、世代を超えてファンの層が広がっています。

制作した円谷プロダクションの北澤淳子広報宣伝室長は「これからも多くの人に愛されるウルトラマンシリーズを送り出して行きたい」と話しています。

日本文化として世界に知られる
“初代”のウルトラマンは、今から47年前の昭和41年7月に放送が始まりました。宇宙のかなた、M78星雲にある「光の国」からやってきた巨大ヒーロー、「ウルトラマン」が地球人の「科学特捜隊」とともに地球に襲いかかる怪獣や宇宙人と戦うこの作品は、放送当初から子どもたちの人気を集め、商品化されたおもちゃも数多く販売されました。

翌年の昭和42年には、初代ウルトラマンから最初に派生したシリーズとして「ウルトラセブン」が放送されました。このあとも昭和45年に「ウルトラファイト」、昭和46年に「帰ってきたウルトラマン」、昭和47年には「ウルトラマンA」、「レッドマン」、さらに昭和48年に「ウルトラマンタロウ」などシリーズが続々と作られ、アジアをはじめ、海外でも人気のヒーローとなりました。

昭和60年代以降、しばらくの間、特撮技術を使わず、アニメ番組としてシリーズが続きましたが、平成8年の「ウルトラマンティガ」から、再び、特撮によるシリーズが再開し、「ウルトラマンコスモス」や「ウルトラマンメビウス」、それにことし7月から始まった「ウルトラマンギンガ」など、派生したシリーズだけで27作品に上ります。

長い歴史のなかで、ウルトラマンはさまざまな特撮ヒーロー番組に影響を与え、変身する正義のヒーローが悪の怪獣や組織と戦う構図が、多くの作品にも受け継がれました。また、キャラクターの形や、その時々の社会問題を折り込んだストーリーは、国内外の映画監督にも大きな影響を与え、日本の文化のひとつとして世界に知られています。

ゆかりの地で喜びの声
ゆかりの地、東京・世田谷区の商店街では喜びの声が聞かれました。東京・世田谷区の祖師ヶ谷大蔵は、ウルトラマンを生んだ円谷プロダクションが近くにあることから、商店街が中心となってウルトラマン誕生の地としてまちづくりを行っています。

商店街にある和菓子屋では「ウルトラまんじゅう」と名付けたまんじゅうを7年前から販売していて、熱心なファンが全国各地から訪れるということです。ウルトラマンシリーズがギネス世界記録に認定されたことについて「喜ばしいことです。商店街にはウルトラマンの像など見どころがたくさんあるので、この機会に来てほしい」と話していました。

また、近くの大学に通う男子学生は「子どもの頃、友達とウルトラマンごっこをして遊び、人形もたくさん持っていました。地域が活性化するきっかけになればいいと思います」と話していました。
by negitoromirumiru | 2010-08-01 00:27 | 箪笥 | Comments(0)


<< 「心療内科」と「精神科」の区別... 安眠・集中力アップ・リラックス... >>