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指揮者 チャールズ・マッケラス

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Sir Alan Charles Maclaurin Mackerras (1925-2010)

・指揮者・マッケラス氏が死去
 2010年7月15日 読売新聞

チャールズ・マッケラス氏(英指揮者)ロイター通信などによると、14日、ロンドンで死去。84歳。
ニューヨーク生まれ。オーストラリアでオーボエや作曲を学び、1947年、英国に拠点を移し、指揮者に。
73年、豪シドニー・オペラハウスのこけら落としに出演したほか、米、独、仏の著名な歌劇場でオペラや交響曲を指揮した。

(春之介のコメント)
ヤナーチェックのスペシャリストとして知られたそうだが、聴いたことはない。

マッケラスの唯一のCD蔵盤は、シベリウスの交響曲第2番でロイヤル・フィル盤とロンドン響盤の2種類である。

某評論家が推していたので入手したいと思っていたが最近LSO盤が手に入った。

実は聴いてみたいCDがあり晩年の演奏を楽しみたいという期待を込めて。合掌


<以下引用>
2010年7月16日 HMV

巨匠チャールズ・マッケラスさんが7月14日、癌のため、ロンドンでお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

【プロフィール】
アラン・チャールズ・マクローリン・マッケラスは、1925年11月17日、オーストラリア人を両親に、アメリカのニューヨーク州に誕生。幼い頃にシドニーに移り、7歳でヴァイオリンを学び、ほどなくフルートの学習も始めます。その後、同地のニュー・サウス・ウェールズ音楽院でオーボエとピアノ、作曲を学びます。同音楽院を卒業したマッケラスは、シドニー交響楽団の首席オーボエ奏者に就任。
 戦後、指揮に興味を持ったマッケラスは1947年にイギリスに渡ってロンドンを生活の拠点とし、同年、クラリネット奏者のジュディ・ウィルキンスと結婚します。そして1年間プラハに留学し、チェコ語も学んで、名指揮者ヴァーツラヒ・ターリヒに指揮を師事、その地で出会ったヤナーチェクの音楽に深く魅了され、研究をすることとなります。
 1948年にイギリスに戻り、サドラーズ・ウェルズ・オペラでヨハン・シュトラウスの『こうもり』で指揮者デビュー。1953年まで同オペラで指揮をおこない、1951年にはヤナーチェクのオペラを初めて英国に紹介し、『カーチャ・カバノヴァー』英国初演で注目を集めます。
 1954年から1956年にかけては、BBCコンサート管弦楽団の首席指揮者を務める一方、当時興り始めた「時代様式」に関心を示し、1959年、ヘンデルの『王宮の花火の音楽』では大きな話題を呼び、1965年には『フィガロの結婚』では、歴史的なスタイルで装飾を加えて注目を集めまた模様。その間、1963年には、ショスタコーヴィチの『カテリーナ・イズマイロヴァ』で、コヴェント・ガーデン王立歌劇場にデビューしています。
 1966年から1970年にかけて、ハンブルク国立歌劇場の第1指揮者を務め、1970年にはサドラーズ・ウェルズ・オペラの音楽監督に就任、同劇場は1974年にイングリッシュ・ナショナル・オペラと改名していますが、マッケラスは1977年まで音楽監督の地位にありました。
 1978年、ヤナーチェク賞、1979年、ナイトの称号を授与され、1979年からBBC交響楽団の首席客演指揮者、1982年、シドニー交響楽団の首席指揮者に就任。
 1986年から1992年まではウェールズ・ナショナル・オペラの音楽監督を務め、1992年、スコティッシュ室内管弦楽団の首席客演指揮者、1993年、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とサンフランシスコ・オペラの首席客演指揮者、1996年にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を兼務。
 マッケラスは、ヘンデルやモーツァルト、ベートーヴェンの演奏に定評があり、ブラームスからマーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチにいたる広範なレパートリーで優れた演奏を聴かせており、特にヤナーチェクをはじめとするチェコ音楽では、スペシャリストとして世界的な評価を得ていました。
by negitoromirumiru | 2010-07-17 16:31 | 音楽 | Comments(0)


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