演奏家 レックス・マーティン(テューバ)

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Rex Martin


bis de Rex Martin en Salceda

・レックス・マーティンの 「テューバ自然体」
 テューバ奏者/ノースウェスタン大学教授

パイパーズ1998年7月号 第203号

 --東京音大で行なわれた個人レッスン(1998年5月)を拝見しました。人前で吹くときに、それが「練習」になってはいけない、常に「演奏」をするように、と繰り返し強調されていたのが印象的です。

マーティン(以下RM) ええ、それは大変重要なことですね。何より、演奏者の心理的な問題として。
 私たちは演奏に際して、音楽を外に向かって、「発信」しなければなりません。しかし多くの人は、楽器を手に「練習」をしてしまう。それはいわば、発信する前の情報を処理しながら、その結果 として得られたものを受け止め、悪いところを直していこうとする行為でしかない。それは、演奏家の仕事ではないんです。
 私の師のアーノルド・ジェイコブズがこう語っていました。「演奏家は、自分の考えをはっきりと述べるべき者。質問を発する者であってはならない」と。
 学生も演奏家もナーバスになると、体も心も、まわりから何かを得ようとする状態に陥ってしまいます。そして、自分の出している音を「処理」しながら、何が自分にとってストレスになっているのかを、確かめようとする。その誘惑に打ち勝って、私たちはすべての音を情報として聴衆に届けなければならない。
 私が生徒に声を大にして教えるのは、自分の「イマジネーション」を最大限に活用せよ、ということです。たとえば、聴衆の耳にどんなサウンドを届けさせたいかをイメージすることが、実際に今、どんな音が鳴っているかを分析することよりも、ずっと重要なのですよ。
 野球のピッチャーがボールを投げるとき、彼の頭の中にあるのは、それをどのコースにコントロールするかであって、そのために腕がどういう軌跡を描かねばならないか、ではないはずでしょう? 同じことが音楽にもあてはまる。頭の中でイメージしていることが、つまりは、脳がすべてをコントロールするんです。舌や唇ではなくて。

 --ジェイコブズは呼吸法の権威として世界的に有名です。あなたのメソードも彼の考えに基づいている?

RM 基本的にはそうですね、自分としては「はかりしれない影響を受けた」ととらえています。教育法に関しては、すべての生徒に接するときに、ジェイコブズがどう生徒にアプローチしていたかを頭に思い浮かべながら。
 彼の他にも影響を受けた先生はいます。大学で師事した、シカゴ交響楽団のバス・トロンボーン奏者だったエドワルド・クラインハマーや、最初の先生だったエドワルド・リビングストンからも、多くのことを受け継ぎました。

音楽家の呼吸と普通 の人間の呼吸に、どこにも違いなどない!

 --呼吸法に関しては、さまざまな解釈やメソードがありますが……。

RM ええ、しかし根本的には、簡単なことなんです。深い息をとることから出発すれば。無理なくブレスをとって、それを自由に使う。こうしたコンセプトを、とても難しくとらえる人が多いですけれども、私はそれは悪しき固定観念ゆえのことでしかないと思います。
 個々の筋肉の使い方などは、半ば無意識下のうちに会得されるのが、最善の結果 をもたらすことでしょう。あらゆる筋肉を意識的にコントロールする能力を、私たちは身につけていません。だから、そうした体の使い方に関しては、画一的な方法論を生徒に押しつけないように、私は考えています。もう単純に、自分自身で演奏してみせるだけです。私が実際にどんな音を出し、どんな風に呼吸しているかを見聞きして、それを真似てもらう。言葉でどうこうと教えたりもしません。いちいち考えこむ癖を身につけてしまうよりも、音楽においてはこれが最も自然なやり方でしょう。
 ときには、具体的な問題について取り上げることもあります。そのときも常に、人間が息をする上で、一番自然で無理のないやり方を踏まえた上でアプローチします。音楽家が息をするのも、普通 の人が息をするのも、まったく変わりはないのですから。

 --いわゆる「お腹」を固くするな、という考え方に関しては?

RM 確かに演奏に際しては、ある種の肉体的な力が要求されもします。しかし、人間が潜在的に持っている呼気のキャパシティは、非常に大きいものなのですよ。テューバだからといって、特別 に要求されることは何もない。大きく息を吸って、吐き出す……(ため息をつくようにして一気に息を吐いてみせる)。テューバを大音量 で吹くときでも、ほとんどこれ以上のエアはいらないほど。
 腹筋を強く張って固くする人もいます。そうすると、たいがいはアイソメトリックス(生理学用語で、緊張が持続している間に筋肉の収縮が起こらない状態)を起こしてしまう。生徒の前でやってみせることもありますが、その力を保ったまま、深く息を吸うのは非常に難しい。逆に、筋肉を固くしたまま息を吐こうとしても不可能です。その種の緊張は、まったく必要ないことがわかります。
 こういうことのすべてを、呼吸に関する特別な「練習」に時間をさいたり、頭で意識しすぎたりせずに、あくまで楽器で「音楽」を演奏しながら身につけるのが理想ですね。

楽譜を読むだけの練習にも、かなりの時間を費やすべき。

 --音楽的なフレージングと、大きなブレスを両立させる点については?

RM それはいい質問です。よいブレスは、必ずしもみんなが自然に身につけているとは限らない。優れた演奏家を模倣するのが最善の手段です。フレージングに関しては‥‥一生をかけて追求すべき課題(笑)。私も毎日、学んでいます。他の演奏家を聴きながら、それも弦楽器奏者や、声楽家や、ジャズ・ミュージシャンやロックのプレーヤーまで。あるいはスコアを読みながら、それがどう響くべきかイメージを描いたり。
 楽器を吹く前に、楽譜からイマジネーションを得ることは非常に重要です。もしも自分にテクニック上の制約がなかったら、あるいはブレスをとらずに一息で吹けるなら、と仮定して、このフレーズはどう流れていくのが望ましいか‥‥。これに、私はかなりの時間をかけます。その上で練習室に行って、自分がイメージしたことをテューバで再現してみる。

 --ブレスのたびに、常にどれだけの息で肺を満たすか、という点は‥‥。

RM 私たちは、自分の肺の中にどれだけ空気があるか、その正確なセンサーを持っているわけではありません。実感できるのは、肺がいっぱいに満たされているか、まったく空っぽか、それだけです。だから、どれくらいエアを吸い、そして使ったかは、こうやって視覚的なとらえ方をすると意識しやすいと思う。
 腕を使って(腕をのばし、手のひらを顔に向ける)、こう息を吸って(肺を空気で満たしながら、手のひらを口元まで引き寄せる。次に息を吐きながら、手のひらを遠ざけていく)‥‥。ジェイコブズのやり方から学んだことです。手のひらの位 置が、車の燃料計の針と同じように、息の3分の1を使った、半分を使った、と示してくれる。これを連想することによってブレスの「総量 」をとらえるのが、実際に役立つ方法ですよ。

 --レッスンでは、バズィングやリムを使った練習についても言及された。

アーティキュレーションを意識しすぎる例が多い!

RM ええ。バズィングをリムだけで練習しすぎるのは危険ですね。特に高音域は。自然な息の流れをイメージする練習に使うべきで、その範囲内にとどめる上では有意義です。マウスピースを使った練習は、レンジも上から下まで使って、時間をかけるに値します。これも有効な練習法ですが、一部のプレーヤーのように、それが「最重要事項」とまでは、私はとらえていません。一日に数分、車の中や(笑)、リハーサルやレコーディング・セッションやレッスンの前に行なう程度ですね。テューバを手にすると、どうしてもバルブだの何だの、楽器を操ることを考えてしまいます。しかしマウスピースだけなら、余分な制約のことを考えず、音楽だけに集中できる。頭の中で音楽を抽象的なサウンドに置き換えてとらえることができる、そんな「フォーカス」に役立つことだと思います。

 --手の甲に息を当てながら、その息の流れが楽譜どおりに「アーティキュレート」されているかどうか確認せよ、とおっしゃっていた。

RM それもジェイコブズの教授法です。舌を使ってアーティキュレートすることを、あまりにも「考えすぎて」いる人が多いんです。トゥトゥトゥ、トゥクトゥク‥‥と(舌で突きたてるような音を立てる)。するとサウンドのことも、息の流れもおろそかになる。単に音をアーティキュレート(文節化)できればよいのに、それを強調しすぎてしまう。常に意識すべきは、振動をとめずに、閉じた唇の間から息を流すということです。
 こうしたことは、言葉で理解するのではなくて、できれば生徒が自分で発見していってほしい。自分が自分の教師になっていて、私はいつしか蚊帳の外にいる、というのが理想で(笑)、そう願ってはいても、難しいですね。

 --シカゴ交響楽団に加わっていたころのお話しを。

「シカゴ・サウンド」に浸りながら‥‥

RM 1982年からの7年間、ジェイコブズの代理奏者として演奏しました。彼は楽団生活の最後のころ、健康状態が悪くて、1年に5~6週間しか演奏できなかった。それ以外はすべて、私が吹いていたんです。  

--レコーディングも多かったと聞いています。印象に残っているものは?

RM それはもう、すばらしい思い出がたくさんありますよ。特に気に入っているものといえば、アバドの指揮で録音したチャイコフスキーの第2交響曲。卓越したエンジニアのジャック・レナーによって、マイクロフォンが3本‥‥5本だったかな、とにかく最小限の数で録音されたんです。個々のプレーヤーの前にマイクが乱立したりせず、とても自然な音に録れている。偉大なる「シカゴ・サウンド」が、見事なバランスで再現されているんですよ。
 他にもショルティ指揮の「1812年」や、ライヴで録音されたショスタコーヴィチの「第8」のサウンドも記憶に残っています。テューバも活躍する曲ですからね。ショスタコーヴィチの「第7」をバーンスタインと録音したときは‥‥。

 --ジェイコブズの引退公演で、それがライヴで収められたんですよね。

RM ええ。テューバは1本のみの曲ですが、それを二人で吹いたんです。彼がソロを、テュッティは私が受け持った。
 他にはネーメ・ヤルヴィが指揮した、フランツ・シュミットの第4交響曲。このテューバの音もうまく録れていますね。シカゴ響とは全部で50~60枚のレコーディングをこなしました。セントルイス響とは、15枚ぐらいかな。
 実はつい2カ月前まで知らなかったというか、録音したことも忘れていたのが、セントルイスで演奏した、チャイコフスキーの「悲愴」。これはCDも持っていなかったんですよ。それが、クリーヴランド管のテューバ奏者のロナルド・ビショップが、「この曲の最高の録音だ」と、人に買うように薦めているのを耳にして、手に入れてみた。自分が吹いているのも気づかずに聴いて、「おお、けっこういい音してるじゃないか」(爆笑)。
 そうそう、もう1枚。マーラーの「巨人」。これをショルティと録音したとき、私はまだ22歳だったんです。第3楽章のソロは‥‥彼に複付点でやるよう要求されて(歌ってみせる)、これはちょっと本意ではなかったけれども、合奏の細部はすばらしかった。テューバと他の楽器のアンサンブルに関しては、自分でも誇りに思っています。この曲に関して、そしてオーケストラでの合奏の機微について、私の生徒が何かしら学んでくれたら、とてもうれしい。自分にとっても、すごく若いうちに残せた録音ですし。

 --今回の来日で持参した楽器は?

RM これはベッソンのEs管で、とても古いものです。先生のエドワルド・リビングストンが吹いていた楽器。私は貧しい家庭に育ったので、大学を出たときには、小さな管の楽器を持っていなかった。そこで、オーディションやソロのために必要だからと、彼から贈り物としてもらったんです。ジェイコブズのレッスンにもこれを持っていきました。彼はEs管は使わないんですが、私の楽器を取り上げてしばし吹いて、「今までに自分が手にしたテューバでも、最高の楽器のひとつだ」と。最高の賛辞ですね(笑)。
 もっとも、仕事では99%以上C管を使います。オーケストラでは5/4のC管、フリーランスでは3/4のC管、どちらもルドルフ・マイネルの楽器。

 --フリーランスは、スタジオの仕事が多い?

RM ええ、今までに2000以上の、ラジオやテレビのコマーシャルの録音に参加してきました。マイクを前にしたときは、オーケストラとは全然違ったサウンドが要求されます。アーティキュレーションもよりハードに‥‥。もし私の生徒がそばで聴いたら、「こう吹いてはいけないと、いつも教えていることばかりじゃないか!」と、怒りますよ(笑)。
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by negitoromirumiru | 2010-06-04 12:51 | 音楽 | Comments(0)


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